大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪高等裁判所 平成10年(う)1314号 判決 1999年3月31日

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金一五万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人柳川博昭が作成した控訴趣意書に記載されたとおりであるから、これを引用する。

一  所論は、要するに、「被告人の行為は、Aからの急迫不正の侵害に対する防衛行為としてなされた正当防衛である。仮に、客観的には、Aの暴行・脅迫が急迫不正の侵害に該当しないとしても、被告人は急迫不正の侵害があるものと誤信していたのであるから誤想防衛であり、いずれにせよ無罪である。また、被告人の暴行が防衛の程度を超えているとしても、急迫不正の侵害が存在し、あるいはその存在を誤信した以上、過剰防衛ないし誤想過剰防衛としてその刑を減軽又は免除すべきである。」というのである。

そこで、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討するに、まず、原判決は、Aの原審公判廷での供述にほぼ全面的に依拠して、本件傷害に至る経過として、要旨「被告人及びAは車両の運転方法をめぐる口論から胸倉のつかみ合いとなり、被告人は、Aから付近の民家のブロック塀に押し付けられた際、右膝で同人の右大腿部を一回膝蹴りにしたところ、体のバランスを崩して互いに胸倉をつかみあった状態で仰向けにAの下になって倒れた。Aは、その上に馬乗りになり被告人の肩を路面に押し付けたりしているうちに、見物人が多数集まってきたことなどから、『もうやめよう』と声をかけたところ、被告人が『うん』と言って頷いたように見えたので、喧嘩をやめて立ち上がるため被告人を押さえていた手の力を緩めた。すると、被告人は、身体を反転させて立ち上がり、既に攻撃を止めて立ち上がっているAに対し、憤激の情から左右の拳でもって同人の顔を三回ほど殴打し、更に同人がその場に土下座して謝っているにもかかわらず、その左顔面付近を足で蹴ったりした。」旨を認定し、原審弁護人の正当防衛ないし過剰防衛の主張に対しては、被告人がAの右大腿部を膝蹴りしたときは、互いに相手の胸倉をつかんでもみ合っている喧嘩の状態にあり、Aからの急迫不正の侵害があったとはいえず、また、その後、被告人がAの顔面を殴る蹴るしたときは、Aは既に喧嘩の意思を放棄しており、同人による急迫不正の侵害は認められないうえ、被告人の右暴行も防衛のためということもできない旨を説示して、弁護人の前記主張を排斥したことが明らかである。

しかしながら、Aの原審公判廷における供述については、①原審公判に至って、被告人から殴打された態様について、A自身の検察官調書や警察官調書に記載されていないことを新たに付け加えるなど自己に有利となるように供述を変遷させていることが窺われるところ、その変遷の理由について黙するのみで合理的な説明をしていないこと、②Aは、被告人からの暴行が止んでまもなくして通報により臨場した警察官に対し、その自認するところによっても「何もないです。」と述べて被害申告しなかったというのであり、また、警察官においても両名の様子を見て立件することもなく引き揚げたことが明らかであって、このような状況は、合計二〇回程度も殴打ないし足蹴にされるなどし、その後、土下座し無抵抗の状態で更に五、六回殴る蹴るの一方的な暴行を受けたとする右供述内容とは相容れないものといえること、③口論の原因となった双方の運転方法についてAの述べるところも、A運転の普通乗用自動車の前方約一五メートルの道路左端寄りを走行していた被告人運転の原付車がいきなりA車の直前を横切るようにして右折しようとして衝突しそうになったというものであって、その状況は、当時の両車の走行状況、現場の道路状況及び被告人が右折しようとした事情等に照らして不自然であることなどの点において、その供述内容自体に多くの疑問があるといわざるを得ない。これに対し、被告人の供述は、捜査及び公判を通じてほぼ一貫しており、自己に不利益な点も含め記憶にあることとないことを区別して供述する姿勢も窺われ、その内容も、犯行現場に至る経緯、犯行現場と被告人方との位置関係、当日のその後の予定等と関連させて当時の状況を具体的にかつ迫真性をもって述べており、そこに不自然、不合理な点はないうえ、現場近くの自宅から右口論に気づいて急いで駆けつけた被告人の妹B子が原審公判廷において供述する右口論の状況、同女が現場に着いて目撃した被告人のAに対する暴行の状況、口論から右暴行終了までの時間的経過等ともおおむね符合しており、被告人の供述に疑問を抱かせるような事情は見当たらない。

以上のとおり、被告人及びAの各供述内容を対比し、関係証拠に照らして考えると、被告人の供述の信用性を直ちに否定するほどの事情は認められず、正当防衛の成否等については、被告人の供述を前提にして判断するのが相当である。

そこで、被告人の供述によると、本件の経緯は次のとおりと認められる。

(1)  被告人運転の原付車が自宅のあるマンションに向かうため右折しようとして約二〇メートル手前から指示器を出して減速し、道路中央寄りから右へ進路を変えつつ右折しようとしたところ、その右側を対向車線に大きくはみ出して追い越そうとしたAの普通乗用自動車と接触しそうになり、その場で二台は急制動をかけて停車した。

(2)  二人は下車し、先にAが「お前、危ないやろ」という趣旨のことを言い、被告人も「危ないのはお前やろ」と言い返して口論になったが、後にアルバイトを控えており、自宅近くの路上でもあったことから、被告人は、穏やかな口調で先に「おれが悪かった。事故にもならんことやったし、ええやん。ごめん。」と述べた。ところが、Aは、これに対し、「ええことあるかえ。何がええんや。」と言い、同人の車の中で話をつけようとして、被告人の左手首をつかんで引っ張ったことから、被告人がこれを振り払ったが、なおも「車に乗らんかい、話をつけようや。」と言い、被告人の頭髪をつかんで自車内に連れ込もうとしたため、被告人はAの胸倉をつかんで抵抗し、その後互いに胸ぐらをつかみ合う形になった。次いで、被告人はAからブロック塀ないしA車に体を押し付けられ、その際に同人の右大腿部を一回膝蹴りにしたが、その直後にバランスを崩して路上に仰向けに倒れ、Aがそのまま被告人の上に馬乗りになった。

(3)  Aは、被告人に馬乗りになった状態のまま被告人の首を手で力を込めて締めつけ、一方、被告人はあごを強く引いてAの手が直接首に入るのを防いでいたが、その間、Aから「車のなかにええもん積んどるのや」と告げられた。その後、被告人は、機を見て一気に体を反転させて起き上がり、同様に起き上がってきたAの顔面を左右の正拳で各一回程度ずつ計二回程度殴り、次いで、Aの左足ふくらはぎを蹴り、それによって体勢を崩し膝まづいた同人の顔面を一回足蹴にした。その後、被告人は、「お前の方が謝らんかい」と言うと、Aはその場で土下座して謝罪した。その後、被告人が冷えた缶でAの怪我を冷したり、病院に同行するなどした。

以上の事実が認められる。

右事実によると、被告人は、路上での口論を穏便に収めようとしたにもかかわらず、Aから手首を引っ張られたり、頭髪をつかまれるなどしてA車に連れ込まれようとされ、これに抵抗するためにAの胸倉をつかんだのであり、また、その後、Aの右大腿部を一回膝蹴りにしたのも、ブロック塀等に押し付けられるなどされ、同人の攻撃をかわすために行われたものと認められ、これらの被告人の行為はいずれもAによる急迫不正の侵害に対する防衛行為として行われ、かつその程度も相当といえる範囲にあって、いわゆる攻撃防御を繰り返す喧嘩闘争の一場面として捉えるべきものではない。また、その直後、被告人が転倒した後のAによる首の締めつけや凶器の存在をほのめかす脅迫行為も、それに先立って行われた同人の侵害行為と一体をなすものであり、被告人が反転して起き上がった後も、Aにおいて攻撃の意思を放棄したとの事情が窺えない以上、被告人はなお急迫不正の侵害を受ける状況にあったと認めるべきものである。そして、被告人のAの顔面に向けられた前記暴行は、このようなAの攻撃に対応してなされたものであり、被告人がAの行為に腹を立てていた形跡は窺われるとはいえ、右攻撃に乗じて積極的に加害行為に出たと認めるに足りる証拠はないから、被告人の前記行為は、Aの攻撃から自己の身体を防衛する意思のもとになされた反撃行為と見るのが相当である。

しかしながら、被告人の供述によれば、被告人には空手の心得があったことが認められ、手加減せずにAの顔面を正拳で二回程度殴打し、更に同人の左足ふくらはぎを足蹴にして体勢を崩し、膝から崩れ落ちた被告人の顔面を強く足蹴にしたものであるから、その攻撃の態様、程度は防衛に必要な程度を逸脱したものであって、被告人の攻撃は過剰防衛に該当するというべきである。

したがって、原判示の一連の被告人の暴行行為全体について正当防衛を主張する所論は採用できないが、原判決には、Aの胸倉をつかんでその右大腿部を一回膝蹴りにした点について正当防衛を認めなかった点及び同人の顔面等に対してなされた殴打及び足蹴について過剰防衛の成立を認めなかった点において判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるといわざるを得ない。論旨は右の限度で理由があり、原判決は破棄を免れない。

二  よって、量刑不当の所論に対する判断を省略し、刑訴法三九七条一項、三八二条により、原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、当審において直ちに自判すべきものと認め、更に次のとおり判決する。

(原判示罪となるべき事実に代えて当裁判所が新たに認定した事実)

被告人は、平成九年六月一三日午後六時五〇分ころ、兵庫県明石市《番地省略》付近道路において、A(当時二一歳)と互いの車の運転方法に関し口論の末、手首をつかまれるなどして付近に駐車中のA運転の普通乗用自動車内に連れ込まれようとしたため、これに抵抗して胸倉をつかみ合うなどするうち、その場に転倒した被告人にAが馬乗りになって両手で首を締めつけ、更には、「車にええもん積んどるんのや」と右自動車内に凶器を積んでいる趣旨のことを述べてきたことから、自己の身体の安全を防衛するため、機を見て体を反転させて起き上がり、同様に立ち上がったAに対し、その防衛に必要な程度を超え、同人の顔面を力を込めて手拳で二回程度殴打するなどしたうえ、体勢を崩し膝まづいた同人左顔面を一回足蹴にする暴行を加え、よって同人に加療約一か月を要する左眼外傷性網膜剥離等の傷害を負わせたものである。

(右認定事実についての証拠の標目)《省略》

(法令の適用)

当裁判所の認定した被告人の前記所為は刑法二〇四条に該当するところ、本件は、空手の心得のある被告人が力まかせに被害者の顔面を殴打し足蹴にするなどの攻撃を加え、その左眼に視力低下の後遺症を伴う外傷性網膜剥離の傷害を負わせたという事案であるところ、右左眼の傷害の程度は重いうえ、被告人において治療費の一部として五〇〇〇円を負担した以外には被害弁償をしていないことなどを考えると、被告人の刑責は軽視できないが、他方、理不尽な侵害行為を行った被害者にも相当の落度が認められること、被告人には前科、前歴がないこと、自己の行為により被害者に傷害を負わせたことについては一応の反省の気持を示していることなど被告人のために酌むべき事情をも斟酌して所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金一五万円に処し、右罰金を完納することができないときは、同法一八条により金五〇〇〇円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置することとし、原審及び当審における各訴訟費用は、刑訴法一八一条一項ただし書を適用して被告人に負担させないこととして、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 谷村允裕 裁判官 伊東武是 多和田隆史)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例